IRONMAN France 2012

みなさんこんにちは。遠方会員の須藤です。
昔の記憶を辿りながら、アイアンマンレースレポートを綴らせて頂きます。
大長編になるので5節に分けて投稿します。
お暇なときに拝読されますと幸いです。
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第1節 準備~絶不調~渡仏
ついに来てしまったこの日が
ニースに行くと決めたのが2011年7月25日

当時転職して間もない頃で、仕事を覚えるのも精一杯だったが
これだけは守ろうと思っていたことが3つあった

1.バイクの月間練習距離500km以上、ランの練習距離200kmを行うこと
2.中期目標、最終目標を明確に持ち、それに対して何をするのがベストか常に考えること

中期目標:マラソン大会では自己ベストないしはコースレコードを更新すること
     スイムでは1分10秒サークルで廻れること
3.出来なかったことに対して言い訳しないこと
(都合の良い理由をつけないこと)

ニースに決めたその日から、ワタシの日常は180度変わった。

朝はバイクで通勤し、帰宅はランを行った。
朝はバイクで10k離れた川崎スイムに通い、
練習後勤務、23時の帰宅を繰り返した。
土曜日は、ランニングの仲間たちとロング走を行い、
日曜日は道志道にロングライドに
行った。平均睡眠時間は4時間半くらいだったけど、
目標達成のためと思えば苦ではなった。
ここ半年間の練習距離は以下のとおり

2012年1月 バイク234.6km ラン200.4km 館山若潮、コースレコード更新
2012年2月 バイク500.3km ラン173.8km
2012年3月 スイム2km, バイク501.2km, ラン203.5km
2012年4月 スイム2,1km, バイク508.7km, ラン193.6km
2012年5月 スイム15,1km, バイク834.4km, ラン204.6km

4月には富士五湖、5月には、バラモン、セントレア、完走を目指す仲間たちと
追い込みを行った。雨の中バイクを走らせたり、河口湖にいったりと
毎週のように峠を登った。

6月に入り、コンディションも上々と思っていたところで風邪を引いてしまった
追い込みすぎて抵抗力が下がっていたせいか、1週間経過しても全く改善されない
気持ちだけが焦る。職場の仲間もカモミールとか、風邪薬を差し出してくれたが
おさまる気配無し。「今できることを確実にやってニースで完走してきてください」と
行ってくれた同僚に凄く申し訳ないと思ってしまった。

呼吸するだけでも苦しい状態だったので、藁をもすがる思いで
病院を内科から耳鼻咽喉科に変えた。
事情を説明しSG細粒からもう少し喉に効きのある薬に変えた。
すると、今まで「運動なんか絶対しちゃだめ」から
「泳いでも、漕いでも、走ってもいいですよ!」に変わった!

やった!これでココロおきなくニースにいける!

ここからワタシの8日間の旅が始まった。

第2節 仏上陸~カーボパーティ~バイク預託
::6月21日::
12時間のフライトを終え、ニースに着いたのが21時30分
土地勘もないまま彷徨っていたら、
予約していた一軒目の3★ホテルの近くまで
ドイツ人が一緒に歩いてくれた。本当にあり難かった。

ようやっとの思いで一軒目の3★ホテルに入ろうとするも
入り口が・・・見つからない。。誰も出てくる気配なし。

入る方法もわからず成すすべもなかったので、最終手段として
次の日に泊まる予定だった4★ホテルをたずねた。230€の部屋が
空いていたので、そこにとめてもらうことにした。
予定外の出費だったが、仕方ない。

ついでに、翌日の予約の確認をしたら

貴方の予約した宿はキャンセルされているので
明日以降の部屋は確保できていません。

といわれてしまった。それは違うでしょう!
文句を言いたいが、長旅の疲れもあったせいか
英語がすぐにでてこない困った。
とりあえず、
明日の朝もう一度フロントに来てほしいということだったので
ふて寝して就寝。

::6月22日::
モーニングサービスの前に、
予約の状況が気になって仕方なかったので
フロントにいるマネージャに確認したところ
「私たちの手違いで予約がキャンセルされてしまったようだ。申し訳ない。
昨日使ったダブルルームの部屋は230€→168€で使って構わない」
と言ってくれた。
半分、向こうのミスとはいえ、70€近く安くなったのは不幸中の幸いか。
とりあえず、ニース滞在中は暖かい場所で過ごすことが出来そうでよかった。

この日はRace Registrationの日。
MedicalCertification,
FFTRI(日本で言うトライアスロン連合の会員証)の提示
を、しなければならない。Registrationが終わると、
Race Bib, Tranditionバッグ Special Aid用のバッグをもらう。

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Ironman EXPOは、AlphaRomeoがOfficial Support Carとしてディスプレイされていた
そしておなじみのShimano, Power Bar, 2XU, Combex, Skins, Zootなど多数。
ヨガコーナーやマッサージコーナがあり、選手の長旅の疲労を和らげ
最高のパフォーマンスを本番に出せる環境を用意していた。

18時からはLignes d’ Azurに乗って、カーボパーティに向かう
パーティは地味に盛り上がった。料理はまあまあ、フルーツは多め。

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パーティの後は、歩いてホテルに帰宅。

::6月23日::
Race Day前日。
午前中はニースの海岸沿いをバイクで20kmほど試走した。
路面コンディションは日本とそんなに大差はない。
そして試泳青い空のした、ビキニギャルが
バカンスを謳歌しているなか、モジモジ君が明日の準備に余念がない
予想はしていたが、欧米人は結構ガタイが良い
明日のバトルは覚悟して挑もう。。

ニースの海は冷たいながらも
透明度はなかなかのもので泳ぎやすい。波の高さも気にならない。
しかし、スイムインするまで結構勇気がいるもので
海岸が石だらけで強めの指圧を施されているようで悶絶する。。
その辺にいた、ItaryやFrenchとかも ”アウチ!” と悶絶していた。
波がそこそこ高かったので「今日波が高いのはたまたまですよね?」と
聞いたら「これはUsualだよ、Aha!」と言われてしまった。
明日は覚悟しよう。。

この日の夜は日本人参加者Yさんに誘われ
日本人とフランス人選手を交えた食事会。

バイク預託の都合で食事会の時間に間に合わなそうなので急いでいたら
大柄のフランス人が、片言の日本語で話しかけてきて
「コンニチハ。ボク、ニホンデ ハタライテイマス^^!」
先を急いでいたので正直困った。でも日本語でしきりに話しかけてくるので
それなりの会話をそつなく行い「明日は頑張りましょう!」と言って別れた。

食事会の会場に落ち着き、会話を楽しんだ。
日本人はYさんと私以外に、稲城の人ひとりと茨木の人が二人。
アイアンマンレースの経験が豊富でいろんな話を聞くことができた。
食事と話をそこそこに20:30には帰宅。

レースの日に持って行くもの
どの袋に何をいれるかメモを書いて
22:30に就寝。

第3節 Race Day Swim
朝3時45分起床。
ニースは日が長い場所だけど、さすがに朝3時は暗かった。昨夜メモした内容どおり、荷物をパッキングし身支度を整える。ホテルの粋なはからいで、通常6時からのビュッフェの営業を。4時45分からopenしてくれた。周りにはアスリートばかり。トイレが近くなるため、水分は少なめ。炭水化物は多め。朝5時からバイクエリアがopenするため、食事を終えて会場へ向かう。

ホテルから会場までは凡そ500mくらい。徒歩にして15分弱。会場に着くと、タイヤにエアを注入したり補給食を充填したりするので慌しい。bikeとrunのトランジションバッグは、前日に預けた。因みにironmanでは、レース当日にbikeおよびrunのトランジションエリアにアクセスすることは禁止されている。したがって、当日会場に持っていけるのは、swimのトラジションバッグとフロアポンプだけである。(これはどの国のironmanレース一緒だと思う)

6時。bikeエリアへのアクセスが禁止になり、いよいよウェットを着込む。私の隣でウェットを着ようと頑張っていたオバサンがウェットが着れないともがいている。手伝おうとしたら大丈夫だったので一安心。

スイム会場へ向かう。
選手たちが水の感触を確かめるかのようにスイムチェック。ニースの海は冷たい。昨日心配していた石は気にならなかった。石のサイズが小さくなった?まあどうであれ、一番の心配事が払拭されたのでよかった。入念にスイムチェックして満足して岸に上がり、最後尾に並ぼうとしたらNo! No!と言われてしまった。どうやら並ぶ場所を変えることができないらしい。。不本意に列の最前列に並ぶ羽目になってしまった。フランスの国営紙のトップを飾ったらどうしよう、余計な心配ばかりしてしまう。

6時25分、エリートが先にスタートした。一般人にならって歓声をあげた。このまま帰りたい。。。おぼれたらどうしよう、やっぱり海に入りたくない 。そうこうしているうちに、6時30分、スイムスタートを切った。

16時間の長旅が始まった。
最前列に並んでしまったがために、想像通りバトルに巻き込まれた
頭を叩かれたり、脇に強引に入られた。それはいつものことなので
気にしなかったのだが、女性が脚を引っ張ってきた
これにはさすがにカチンときた、こいつには絶対負けない
女性を徹底的にマークした。尾行してみると簡単においついてしまうペースだった
あっさり抜き返し、次の餌食を探す。毎回恒例のコバンザメ泳法の開始。
自分と同じペースの選手のくるぶしくらいに自分の位置を定める
こうすることで不意な平泳ぎやバタ足の被害を回避できる。

2.4km周回し、一旦スイムアップ。ボランティアが身体を引き上げるのを手伝ってくれる
そして1.4km再スイム。この頃には人もまばらになり平和なスイムになった
前半、バトル回避で結構キックを使ったので脚を攣ってしまった
無理に水中で脚を伸ばすとまた攣ってしまうので、脚を動かさないようにして泳ぐ。
とても泳ぎにくい。。今度から気をつけよう。
無難な泳ぎを行い、スイムアップ。この頃には攣っていた脚も回復した。

第4節 Race Day Bike
バイクウエアに身を包み、いよいよ今回の難関、バイクパートへ突入。
今回の獲得標高は1800m。一瞬下りポイントがあるものの、最初の70kmはひたすら登り
とにかく最初の20kmは比較的平坦なので
ここでハニースティンガーをフォアグラのように詰め込む

ヨーロッパ人のバイクはとても速く、序盤からどんどん抜かされる。
でもここで焦ってはいけない、ここから長い登りが待っている。

最初の20km地点で斜度10%の坂が登場。
早速自転車を降りて押して歩く選手もいた。
ダンシングで登りを駆け上がる選手に、村人たちが Allez! Allez!と叫ぶ
おおこれがアレですか。。10%の坂は500m続いた程度で終了。

50km地点まで、長いゆるやかな登り坂が続く
容赦なく照りつける太陽、アスファルトからじわじわ伝わってくる熱風。。
ボトルのドリンクがどんどん消費する。
頭が痛くなってきた。塩分が足りなくなってきたようだ。
すかさず、梅肉チューブをチビチビとなめ
musashiのリプレニッシュで流し込み、回復。

他の選手も暑さに参っているようで、ペースはどんどん落ちていった。
今回は2箇所で、ペース判断を設けた。

①70km地点 … Col de l’Ecre を 13:20までに通過
②118km地点 … Saint Barnabe’ を 15:15までに通過

①の通過時刻が12時をまわったあたり。1h20mの貯金を作った。
熱中症でリタイヤしている選手が居る。標高が高いといえど、
やはり暑い。

70kmを過ぎると登りは一旦終わり、多少のアップダウンを繰り返す。 アメリカ人がしきりにワタシに話しかけてくる。どうやら5回くらい抜いては抜き返すを繰り返していたらしい。「また抜きにきてくれ」と言われ、あっさり先に行かれ 。

118km地点を14:20に通過。Allez! Yukach! Allez! Yukach! とボランティアが応援してくれたあと、目の前がかすみ、気分が悪くなってしまった。
周辺が25~27km/hで走っているなか、平均速度が20km/hをヨタヨタと走る。
ペダルに力が入らない。低血糖だった。カーボショッツを含み、水で流し込むと序々に回復。下りのときでなくて良かった。もし、下りで気分が悪くなっていたらスピードが上がって事故に繋がっていたかもしれない。

さすがに130km地点を過ぎると人気も殆どなくなり、本当にこのコースであっているのか?
と錯覚するほど閑散としていた。本当に間に合うんだろうか。。タイムカットの逆算をしたいがネガティブな思考ばかりが先行し、頭が働かない。

そこに “ユカッチ!!”という声と共に、ホイールから轟音を立てながらフランス人Tさんが “アト、50キロ デス!”と言いながら勢い良く通過していった。

ああ、こんなタラタラ走っている場合ではない!ワタシも急がなければ!!
ダウンヒラーとしてのスイッチが入った。130km~160km地点での下りは35~45km/hでブレーキをかけることなく、一気に降下。

160kmからbike finishは、
行く手を阻むかのような向かい風だったが
そんなのにひるんでいる場合ではなかった。
とにかく先を急げ。ダンシングを織り交ぜながら
50分の貯金を残して、ランに突入した。

第5節 Race Day Run to Finish
ランシャツに着替えたかったが、
正直時間がなかったため
バイクウェアのまま、ラン開始。
ランに残された時間は5h50m
概ね大丈夫そうだがなにが起こるかわからないのが
トライアスロン。

最初の5kmは軽快な走りだった。とにかく走るのが愉しかった
エイド3km地点でNサンのご友人がボランティアをしていた
笑顔で迎えてくれて、「頑張ってね!」とハイタッチ。

ランコースは一周10kmあまりのコースを4周回。
1周するごとにchouchouを手首にかけてもらう。
3つのchouchouが揃えばゴールだ。
ワタシがランに入った時点で、
周囲の選手は既に2~3chouchou手首に巻いていた
羨ましい!と嫉妬しながら走る。

日本人選手が珍しかったようで、沿道からひっきりなしに
Allez, Yuka! と声をかけられる。
たまに日本人観光客が「がんばってください!」と
激励してくれた。

20km地点で2h20m経過。概ね順調そうにみえたが、
次第に胃がヘタってくる
最初はバナナ、オレンジ、
コーラとチビチビ消費していたが
それさえ受け付けられなくなる。
special needバッグからmusashiリプレニッシュを頂く。
しかし 回復したのもつかの間、
スピードが一向にあがらない。

折り返し地点で、Tさんと何度もすれ違うたび
“ユカッチ!ゲンキ デスカー!!”
と大声で声かけてくれる
ワタシも負けじと「元気ですよー!」と返す。
この声の掛け合いが何度と無く私を救ってくれた。

25km通過。暑さにやられてしまい、
何も受け付けられなくなった
スピードを上げようとすると、
脚に力が入らず、側道に落ちそうになる
今度こそ駄目かもしれない、やっぱり駄目なんだろうか、、、

でも
日本でPCの前で手を合わせてみている
仲間が居るかもしれない。
メダルを手にして帰ってくるのを心待ちにしている
仲間のためにも走らなくてはいけない

でも、趣味だし、
駄目だったとしても
誰にも迷惑かけないし
いいじゃん

そう思ったら脚が止まってしまった。
嘔吐している選手もちらほら居る。
家族らしき人が寄り添っていた。
それを見ていたワタシも、
具合が悪くなってしまった。

ああ、ワタシは何のために来たのだろう
すれ違うたびに、Tさんが
“早イデ! 16ジ マデデス!!”
(急いで 制限時間16時間 マデデス
という意味だったと思う)
と声をかけてくれたが反応するのに精一杯だった。

30km通過。時間の逆算を始める、
あと10kmを1h20mか・・・
僅かな望みを託し、
カーボショッツを水で流し込み、脚を動かし始めた。
すると意識が回復しはじめ、
自分の身体の状態を冷静に分析し始めた。

どうして脚が廻らないと決めつける?
ちゃんと動いているじゃないか
どうして気分が悪いと決めつける?
まだまだいけるじゃないか
どうしてもう駄目だと決めつける?
まだ時間は残ってるじゃないか

ワタシは自分で自分の限界を
決めつけてしまっていたことに気づいた
アンクルバンドを回収されるまで、
その一秒まで諦めない!

そう思ったらエンジンがかかった。
最後の5kmくらい覚えていないが
神がかりにあったように、凄く調子がよくなった。
抜かれた選手を抜き返す。
200m先を行っていたThomasさんに追いついた

今度は、Tさんのfinishがやばい。
Tさんに
“Tさん!急いで!!あと20分!!”
と声をかけた。すると
“ユカッチ ナイスラン スゴイネ。
ボクハ ダイジョブ ゴールデアオウ”
と返してきた。
・・・本当に間に合う?ゴ、ゴールで待ってるよ(涙)!
と言い 自分のランを再開した。

finishゲートに近づくと
Yuka! Nice Run! Nice Run! Good Job!! Congratulation!!
との声が止まない。会場のボルテージは一気に上がり

Yuka from Japan, fish! Congratulatiooooon!!!!!

長い長い15:50:50 の旅が終わった、
と同時に気を失ってしまった。

気がつくと医務室に運ばれていた。
点滴をうち20分ほど待ってほしいといわれた
周りの選手にはFinisherメダルが首にあるけど、
ワタシは、、、ない??
心配になってしまいDoctorに
“finishしたんだけど、すぐ倒れてしまってメダルがない”
と言った。すると
“ じゃあちょっと待って ”と一瞬、その場を離れ
Finisherメダルをもって戻ってきた。
そしてそのメダルを、ワタシの枕元に置いてくれた。

丸いIronmanメダルの形、刻印された IRONMANの文字を見たら
日本での合宿や日々の練習を思い出し、涙が出てしまった。

Do you feel better? とDoctorが声をかけてきたので “Yes, thank you.”
と答えたが血圧が低いまま。もう1リットル点滴しようと提案されたが
それは断って、御礼をいいつつ会場を後にした。

本当の意味でのワタシの IRONMAN FRANCEは終わりを遂げた

ホテルに戻り、
メールやネットをチェックすると
たくさんのお祝いメッセージが届いていた。
みんな遠く離れた日本でこんなにも応援してくれたんだ。。
こみ上げっぷりがハンパ無い(泣笑)

みんな本当にありがとう。
みんなが居たからこそ、
ここまで練習を積むことができたし
Niceに行くこともできた。
そして、メダルも持って帰ることができました。
ネットの向こうでの応援、
心強かったです。離れていても繋がっている
それだけで安心しました。

たった一人での出国で心細かったけど、
旅先でたくさんの出会いがありました。
スポーツをすることの醍醐味は
自己実現を達成するとか
人との出会いとか、人それぞれですが
私にとってスポーツをすることの醍醐味は。。。なんでしょうね(笑)
漠然としていますが、
できなかったことが出来るようになる
あとは、泳ぐ、漕ぐ、走る、そして呑んで笑いあうことで
みんなとひとつになれることですかね。

長い文章、読んでいただき ありがとうございました。

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